パノラマ+エイリアン

■パノラマ集成
パノラマの資料集成のようなものが今年末には刊行されるらしい。
Panoramas,1787-1900 Texts and Contexts
アマゾンにも出ていた。

Panoramas, 1787?1900: Texts and Contexts

Panoramas, 1787?1900: Texts and Contexts

結構な価格。でも購入せざるをえない。。。

■エイリアン以後
 今期はホラー映画をいくつか見せつつ、その言説をたどってきたがやはり到底終わらないので次期も計画を立て始める。今期は『シックスセンス』、『悪魔のいけにえ』、『エイリアン』、そして残る1本は『羊たちの沈黙』でしめることにした。
 エイリアン・シリーズについては日本語では内田樹氏の以下の本にフェミニズムの時代的変化を文脈にして4作品をなぞった以下の本がある。他、欧文論文もいくつか探索中。
女は何を欲望するか? (角川oneテーマ21)

■エイリアン論
 『Science Fiction Studies』の1980年の号にエイリアン・シンポジウムの数本の論文が掲載されていた。ざっと読んだが、グレマスのあの四角形をつかいながらイデオロギー的批判を繰り広げる感じの議論がいくつか。つまり人間をまずは立てておいて、非人間があって、、という図である。皆微妙に各項が違う図を展開する。
 ひとまず今日は一作目のあれこれのポイントを見せてしゃべって終了。来週は次のものも読みつつクリード批判もして、他のエイリアン解釈も紹介して議論をしめくくる予定。

女性状無意識(テクノガイネーシス)―女性SF論序説

女性状無意識(テクノガイネーシス)―女性SF論序説

フェミニスト映画―性幻想と映像表現

フェミニスト映画―性幻想と映像表現

このシリーズ、各作品監督が違うがこれだけそれぞれのモチーフと主題への反応と当時の状況がにじみでているシリーズはなかなかない。エイリアンⅡ(エイリアンズ)については、ロビン・ロバートの二つの母性をめぐる論が邦訳されていた(「『エイリアンⅡ』における育ての母と生みの母」『現代思想 特集 出産』(1990年6月号))。『エイリアンⅢ』については先に挙げたサイエンスフィクションスタディーズ誌の93年の号に一本論文がある(Stephen Scobie, What's the Story, Mother: The Mourning of Alien)。『エイリアンⅣ』については探索中。そして今年はエイリアンⅤにあたる『プロメテウス』が第一作のリドリー・スコット監督で公開されるらしい。


 ラマールが来日するのに合わせたわけではないが、彼の論文をゼミで読んでいる。リミテッド・フルアニメ論を今日は半ばまで進む。いつもドゥルーズの映像論へ流れるところはどうだかなとは思うが、たしかに他のアニメーション論にはなかった楔はある論文。『アニメ・マシーン』も部分的には読んでみようかという気にはなる。



 神戸に行くも暴風警報で全面休講。すごすごと引き上げる。京都から出発すると道中で警報発令ということになってしまう。

 講義で議論する『エイリアン』論をあれこれ探していた。バーバラ・クリードのアブジェクション論だけではあまりにももったいないので。
Alien Zone: Cultural Theory and Contemporary Science Fiction Cinema (Probability; 36)Close Encounters: Film, Feminism, and Science Ficiton (Literary/Cultural Studies)Fantasy and the Cinema
日本語でもいくつかある。しかし本当に和文での議論が少ないのにも驚いた。もう少し探してみる。
エイリアン―恐怖のエクリチュール映画の構造分析

ひとはなぜ裁きたがるのか 宣伝


■宣伝

ひとはなぜ裁きたがるのか―判定の記号論 (叢書セミオトポス)

ひとはなぜ裁きたがるのか―判定の記号論 (叢書セミオトポス)

この学会の編集委員(長)も引き受けてしまった。というわけで今年の3月頃から、本当に苦労しながら編集作業をしていた学会誌がようやくでました。
 なかなかに面白い構成になっていると思うので、ぜひお買いもとめください。今回出版を引き受けてくれた新曜社さんにも告知があがっています。ここを参照のこと。本書の第Ⅲ部でスポーツについて語っていただいた稲垣正浩さんも、ブログで紹介してくださっています。稲垣さんには、好意的にいろいろ質問は投げかけられているのでまた東京出張の折にでもお会いしたいなと考えています。
ともあれ、学会誌叢書セミオトポスの次号はゲームについてですので、たぶん年度内には出すつもりなのでよろしくお願いします。

■着る/脱ぐ大会
 で、すでに宣伝していたように、
 この雑誌がぎりぎりセーフで間に合った今回の記号学会の大会、後で声をかけられて分かったのだが、フロアにはいろんなひとが来てくれていてあまりにももったいない気もした。たぶん時間のマネジメントさえもう少し努力して、打ち合わせももう少ししておいてくれれば、フロアも巻き込んでもっと面白くなる要素が満載であったのかもしれない。
 キーワードとして着/脱〔アタッチメント/デタッチメント〕が初日の懇親会で提起されて、ただ「着る」ことだけでも「脱ぐ」ことだけでもなく、愛着と離脱という「着る」の醸成する力学があぶりだされそうな素地は企画にはあった。たとえば僧侶が常に着る袈裟はつねにすでに着られているものをさらに身にまとうことで世間から離脱するという論理で語れるし、音を着る/脱ぐという問題設定は、着ているものを脱ぐという単純な問題設定そのものを脱げないということを明らかにするのだし、あれこれ整理にはなる概念だと思う。
 最終セッションでは、なかなかにスリリングな対決だったのだが、最後まで結局ぎりぎり挑発には乗らないということで、もう30分くらいは司会入りで余裕をもたせてもよかったような気もした。

 しかし世界に学会多しといえど、学会企画のアーチストのパフォーマンスで、元学会会長と、現会長が、新聞を着せられ、うち一名がおでこにマジックで落書きされるという学会は、日本記号学会しかないと思う。問題あったらリンク削除しますがたとえばこことかに写真がまだ残っていたりする
 



■シンポと学会など
週末に先日宣伝した学会があるのだが、思い切りかぶっているしかも写真シンポがあると気付き少々うろたえる。いけるわけないだろ…ここをご覧ください。

 とはいえ、いちおう編集委員長の立場なので、宣伝をすると、日本記号学会の大会、12日と13日ファッション美術館で開催なのでぜひご来場ください。新聞女さんのパフォーマンスもありますし、鷲田さんと吉岡さんの着る/脱がす対談(と私は呼んでいますが…)もあります。詳しい情報としてプログラムはここをご参照ください

同一性の謎

ようやく時間が少しできたのでもろもろ。忙しい理由は、いつも通り学会誌編集と学会準備、職場の同僚が副学部長になってしまったこと、そして何より育児がある。

■同一性の謎
橋本一径氏からルジャンドルの邦訳をいただく。いつもながら感謝。

同一性の謎: 知ることと主体の闇

同一性の謎: 知ることと主体の闇

また、同じ橋本氏の『指紋論』の書評もようやく出ました。『表象』6号です。…思えば、彼から幽霊指紋論が突然送られてきて、結局それが表象文化論にかかわるようになったきっかけだったような気もします。ということで少しはそのお返しができていればと思います。もちろん要望や希望は書いておいたけれど。
表象〈06(2012)〉

記号学会大会
が来週末に神戸ファッション美術館で開催されます。
学会サイトのここでフライヤーをDLできますのでお暇な方はご参加ください。着ることがテーマです。

呪怨
 ずいぶん前に購入したホラー論を読んでいる。ベルクソンの時間の空間化批判をポストコロニアルな時間の一元化批判にからめて議論を展開していく一方でアジアホラーをその素材に、複数の互いにまじりあわない時間の並列を論じた本、、、と書くとわけがわからないかもしれないが、『呪怨」論は的確だった。最近でもないが『デジタル時代の日本映画』での同作品の扱いに物足りなさを感じていたのだがこちらは納得がいく。もちろん本書は他にもいくつかのホラー映画が分析されている。
Translating Time: Cinema, the Fantastic, and Temporal Critique (A John Hope Franklin Center Book)

キャロル、ヒルズ


 キャロルのホラー論へのマット・ヒルズの批判を整理している。キャロル的モンスターの組み入れられない事例の問題。アート・ホラーという感情が組み込めない情動(アート・ドレッド)の問題、これと結びついて対象志向の恐怖に照準しすぎる点(対象の不明瞭な場合の恐怖や不安の問題)、そして感情が最初から認識的要素を組み込まれてしまう点、設定される観客モデルがあまりにも単純である点(嫌悪と快楽の共存/両者の統合)などなど。
 これに対して、ヒルズはキャロルを補う形で感情と情動の理論を展開しようとする。ただし、ドゥルーズ系の議論もポスト構造主義の議論も採用しないという。ということなのだが、第一部第一章「ホラーの哲学」はいまひとつ盛り上がりに欠けた。で、ついでに第一部第三章「ホラーの精神分析」の精神分析的議論への批判も読む。。。これも落とし所はいまひとつ。次は第二部「ファンの実践におけるホラーの快楽」を読み進める。攻めはよいのだがそのあとがないのが難。だが、フリーランドなどと並べてまとめておくと意味はあるだろう。