嫁姑、BB


■業務
まだやってるのか、と呆れられそうだが、時間の合間にレポート採点。
 今回はケータイ小説に絡めた論が多い。
 ある論は、速水氏の少年オタク/少女ヤンキーの軸がとりこぼしているものとして、少女オタクをとりあげ、そのライトノベルという媒体とケータイ小説の親近性について説き、ある論は、PCとケータイというメディアの差異とYou Tubeニコニコ動画の差異とその受容様態の違いと関連付ける。他は皆似たりよったり。
 課題にした3D映画とVRをつきあわせ、前者の摩擦感に照準したものも2,3あった。ちょっと意外だった点は、通常、ステレオ的なものがなかなか見えてこないゆえに、かえってこちらの身体を駆り立てるところこそが面白いのだが、3Dは不完全な技術で云々というところで撤退してしまう論が比較的多かったこと。その摩擦こそが思考の起点になるのに。

そのほか気になった素材。ほんこわの微温的蔓延のこわさが気になった。
『ほんとうに怖い嫁・姑』プリクラミュージアム
トム・クルーズ コレクション 1 [DVD]

■BBメモ
次の短い文章のために、ベンヤミンベルクソンの関係も少しずつメモしていく。
ボードレール論でベンヤミンは次のように言う。
「大工業時代の不毛で幻惑的な経験…〔中略〕…この経験に対して閉ざされる目には、この経験の、いわば自然発生的な残像として、補色的性格を持つ経験が表れる。ベルクソンの哲学は、この残像を詳述し定着しようとする試みである。このようにベルクソンの哲学は、自分の読者というかたちでボードレールの目にありのままに見えていた経験について、間接的に示唆を与えるものである」。

■バッチェンふたたび
明日から数日翻訳合宿なので(といっても通い)、読み直しを始める。
2,3,4章という手のかかる歴史的な部分をあるていど片付けてしまおうというのが今回の課題。
Burning with Desire: The Conception of Photography (The MIT Press)