■研究会
以下の予定で今週末研究会を神戸で開催します。

第七回神戸大学芸術学研究会「身体と同一性」開催のご案内
HP:http://www.lit.kobe-u.ac.jp/art-theory/event2012.html

日時:2012/011/24(土)14:30-
場所:神戸大学人文学研究科A棟学生ホール
概要:ネットワーク上にみずからの身体を接続し、記録、公開することが常態化しつつある現在にあって、そのような欲望や衝動を駆り立ててきたのが19世紀 以来の複製技術と身体との遭遇にあったことは疑いない。本研究会では、学内外からの研究者を招聘し、現代にまで至る複製技術と身体の関係を中心に、そこで 身体の同一性がどのように編成されてきたのかについての議論を展開しようと試みる。

プログラム
14:30- 開会・司会:増田展大(日本学術振興会特別研究員)
14:40- 報告1 橋本一径氏(早稲田大学文学学術院准教授)
「肖像権と同一性——19世紀フランスにおける写真の著作権をめぐる議論を通して」
15:15- 報告2 秋吉康晴氏(神戸大学人文学研究科博士課程後期課程)
「おしゃべりするフォノグラフ——1877~1878年の蓄音機受容における声の同一性」
15:50- 休憩
16:00- 報告3 佐藤守弘氏(京都精華大学デザイン学部准教授)
「遺影と擬写真——ずれていく同一性」
16:35- 全体討論
17:30終了予定

みなさま、奮ってご参加ください。

トーク
…という会の翌日にパノラマについてトークいたします。下記を参照ください。
http://artarea-b1.jp/schedule.html
鉄道とパノラマと機械(と幽霊的なもの)がテーマのようなのですが――私自身もよく把握をしていません――、これからひとまず話を作ります。基本はやなぎさんたちとの対談になる予定です。お時間があればお越しください。


アムステルダム大のFilm Culture in Transitionが予想外に多数出版されていたことにようやく気付く。早速いくつか持っていないものを注文する。ひとまず静止と運動の刊を買う。エルセサーがけっこうかかわっているようだ。

Between Stillness and Motion: Film, Photography, Algorithms (Film Culture in Transition)

Between Stillness and Motion: Film, Photography, Algorithms (Film Culture in Transition)

2か月以上

学会も終わり、引越し復路も終わり、授業も始まって科研の書類もいくつか片付いて、まだまだ片付かないことが多いのだが、そんなこんなでようやくここに復帰。気がつくと2ヶ月以上経っているのであった。

■写真論講読

Photography Theory in Historical Perspective

Photography Theory in Historical Perspective

非常勤ではこれを読み進めることにした。写真論の研究の現在ってあれこれ出ていてそのつどチェックしているのだが、目にとまったのは教科書的なこれ。中身は次のごとし。
 1章 写真における再現表象:絵画との競合
 2章 写真における時間:時間を基礎にした諸芸術との競争関係
 3章 写真における場と空間:ヴァーチャルな場と空間的対象の位置づけ
 4章 写真の社会的機能:ドキュメンタリーの遺産
 5章 自己反省的写真
現在の問題に手の届いた入門書は写真に関しては数が少ない(か、現在に腰を据えすぎて議論が腰の座っていないものが多い)が、これはまず及第点の内容だろう。未見の文献も多いのでバックアップしておく。来年は写真論をリスタートしようかと考えているのでそのウォーミングアップにもなる。

■ゾンビ論
 神戸の授業ではここ数学期のホラー映像論のしめくくりとしてゾンビ映画論をすすめている。ともかくまともなゾンビ映像論が少ない(もちろん「まともなゾンビ・・・論」という言い方がまとも「でない」響きがあるが)のだが、数少ないゾンビ論と系譜を確認しつつ、講義ではロメロの『ゾンビ』(ドーン・オブ・ザ・デッド)を見せて喋っている。で、その次に見せるゾンビ映画を思案しているのだが、なかなかに悩ましい。ロメロ『デイ・・・』は全編を見せるよりも部分を見せるほうがよかろうし、ロメロ『ランド・・・』は少々気張りすぎでゾンビ映画らしくない。『ショーン・オブ・ザ・デッド』、『ゾンビランド』、『ゾンビーノ』は、ゾンビ映画的問題構成を十分理解してからシメとして見て欲しい。

■アニメ論
今期から院生を指名して講読の授業の切り盛りをしてもらっている。身体写真の研究をしている増田くんにボルトンパトレイバー論を素材に話をしてもらって、つっこみを入れつつ授業にしている。この論文はたぶん数少ない映像の肌理をある程度抑えた論文。
Robot Ghosts and Wired Dreams: Japanese Science Fiction from Origins to Anime


■雑誌
ユリイカ2012年8月号 特集=クリストファー・ノーラン 『メメント』から『インセプション』、そして『ダークナイト ライジング』へスマイルBEST プレステージ スタンダード・エディション [DVD]
ノーラン特集。ノーラン作品については、それぞれの作品が組み立てが入り組んでいて、しかもその割に案外分かりよく、ついつい解釈ゲームにつきあってしまいがちになるのだが、それでは物足りないと思っていたので早速買ってあれこれ読んでみる。個人的には、これほどまでに構造を前景化して組み立てながら、それを起源につきあわせないところ、あるいは起源の不安定さをそのままにして組み立てと共存させてしまうところが、毎作品気になってしまうのである、とかと思う。橋本氏が論じた『プレステージ』は即注文しておく。

美術手帖 2012年 08月号 [雑誌]
久方ぶりにBTを購入。論考、もう少したくさんあってもいいかもしれないと思いつつめくる。写真論について、そろそろもう一度議論を先に進めて考えてみたいのでデマンドやルフについて資料を収集中。


■引っ越し往路終了
先日書いた引っ越し作業は終了。手伝ってくれた学生さんには深く感謝。とはいえ10月上旬にもう一度往復の復の作業があるのであり、授業や研究はひとまずどうにも手がつけられない状況になるのであった。そんなこと言っても仕事は来るのであるが、それは仕方ない。

■学会
 今日は久々に美学会に行き、北野映画とルーモール〔ルーモア〕の発表二本をそれぞれ聞く。
 前者については、もう少し基本的画像の分析が必要だと思ったし、暴力というアクションが映画の構成上の分断にどのように波及し、映画自体を因果性から外部へと裏返してしまっているのかという次元まで精緻に比較検討のうえで議論しないと、なかなか納得できないという印象。もうひとつ、ビートと北野のタケシ/武論はもうずいぶんと日本語でもあるのでそうした視点は最低いれておかないと困るであろうし、監督として彼をシリアスに読みすぎると、なんでもない細部にあまりにも正当な意味を読み込みすぎてしまい、足をとられてしまいかねないと感じた。

■引越
 まだ授業も終わっていないのに、研究室すべての引越作業を月末までにせねばならないことになった。今の職場に来て引っ越しは2回目。今回は文学部などにお金など配分されるのだろうかと半信半疑だったのだが、奇跡的に急きょ建て替えが決まった。しかしその反面で、奇跡的に時間がない学期終わりの日程での引っ越しである。あまりにも、あまりにも無茶である。

 というわけで今日20日は機密書類4箱、ビデオ箱4箱、スライド箱4箱を処分したり自宅に送付したりする。10年分以上のあれこれが詰まっているのでちょっとヘビーすぎる作業である。

SFの変容―ある文学ジャンルの詩学と歴史

SFの変容―ある文学ジャンルの詩学と歴史

前々から買って読んでおかねばならないと思っていた本。これは夏の課題図書。秋以降のお仕事の素材。

アキラと羊

■ラマール文献
ラマールのアキラ論は翻訳があった。気づくのが遅くて積み残し。
新現実 v.4
ラマールの本はどうやら名古屋大学出版会から「近」刊なのだそうで、他もらしている議論をゼミで読むことにした。同時にMechademiaもざっとそろえて学生と読むことにした。
Mechademia 1: Emerging Worlds of Anime And Manga (Mechamedia)

■羊論
文献をサクサク集めて読んでいる。映画公開時の諸反応と80−90年代の政治的文脈と社会運動とホラーの関連も含めてあれこれ論がある。Clover,Halberstamはすでに挙げたが、再掲。後者の一章分が『羊たちの沈黙』に充てられている。表面/深層という二項対立ではなく表層=皮膚の縫合や拡散による同一性の問題が議論されている(個人的にはビルにあまりにも可能性を読みすぎの印象をもった)。フィリップスのものも第7章。当時の政治的社会的流れが簡潔におさえられている。Badleyのものは第6章。これは小説版で描かれた母の問題構成に関して詳しいので今回は省く。Staigerのものは第9章。フェミニズム側からの評価とゲイ・アクティヴィスト側からの批判について詳しい。
Men, Women, and Chainsaws: Gender in the Modern Horror FilmSkin Shows: Gothic Horror and the Technology of MonstersFilm, Horror, and the Body Fantastic (Contributions to the Study of Popular Culture)Projected FearsPerverse Spectators: The Practices of Film Reception
また、入門的ではあるが、エルセッサー/バックランドの次の本の9章がまるまるこの作品に充てられている。
Studying Contemporary American Films: A Guide to Movie Analysis
日本語では塚田氏と大橋氏の議論があり参考になる。
シネマとジェンダー アメリカ映画の性と戦争 (ビジュアル文化シリーズ)
後者は岩波『文学』2002年11−12月号に所収。
悪魔化されたアジア的表象、そしてこの作品に入り込んでいる宗教的な諸表象の織り合わせの読みは面白い。

科研等

■お知らせ
 私もメンバーの科研で次の講演会があります。外部に向けて公開かどうかはわかりませんが、基本的に大丈夫だと思います。ということでお知らせまで。この後、ラマール氏は表象文化論学会でのシンポジウムにも出るのであるが、その情報もリンクしておきます。たぶん、――まだ調整中だけれども―― こっちも一瞬だけ行くとは思う。デマンドもついでに見る。

トマス・ラマール教授(マギル大学)講演会
エクスプローデッド・プロジェクション——技術的パラダイムと日本アニメ

 日時:2012年7月5日(木)15:00〜17:00
 場所:京都大学吉田南キャンパス総合館南棟334教室
 司会:門林岳史(関西大学
 使用言語:日本語
 *入場無料・事前登録不要

本講演は、デジタル技術の衝撃に対して現代アニメがもたらす洞察を、日本のアニメ・メディアアート・物質文化ならびにハリウッドのSFX映画を実例として検討する。イメージと運動が組織される既存のモードがデジタル技術によって容赦なく脱-構造化された結果、イメージのフローとイメージの世界の組織化を構造的に把捉にあたっての新たな支配的モードとして、爆発する投影(exploded projection)が現れた。日本アニメの世界的ブームはもとより、現代においてアニメーションが遍在する一因は、イメージの組成という次元においてアニメーションが作用する傾向に存する。そうしたアニメーションの傾向が、運動とフローの新たなモードへとイメージ空間を開くとともに、新たな技術的パラダイムを作動させているのである。


 ということで学部ゼミでラマールの「フルリミテッドアニメーション」を読了する。面白いには面白かったが、運動イメージ/時間イメージとフル/リミテッド・アニメーションを重ね合わせて、複数の行動領域や次元に拡散していく運動/時間イメージという開き方は、――ラマ―ルだからこそのアクロバシーであり、強引な横滑りなのだろうが――やはり少々無茶とは思った。具体化、会社(化)、魂に充ちた身体化の「コーポレーション」はそんなに一様ではないし、そこにこそ間隙を見て複数化すべきではないのだろうかとも思う。とはいえ、そこまでの議論だけでも、アニメーション史を詳しく知らぬ者にとってさえも、アニメーションを考える作業がいかに刺激的な感覚的かつ思考的作業なのかが提示されているということはできる。