アメリカ写真、自然保護

神戸。昼、笑顔の集合写真の後、会議会議会議会議会議。
6時間経って笑顔はとっくに消えさっているのであった。


■新刊

現代アメリカ写真を読む―デモクラシーの眺望 (写真叢書)

現代アメリカ写真を読む―デモクラシーの眺望 (写真叢書)

を拝受。トラクテンバーグの『アメリカ写真を読む―歴史としてのイメージ』もアメリカ写真史の必携書(だが、扱う歴史が遠いのが難。もちろんその分写真(史)の起源が手際よくおさえられているのだが)。そういう意味で、日高さんのこの著書もたぶん基本書になるだろう。連載事から興味深く読ませてもらっていた。


■自然保護とジオラマ
Windows on Nature』を読んでいると、自然保護という観念がしつこく繰り返され、辟易する。絶滅危惧種の保護を説き、時の大統領がそれに応じたなどなど。たしかに長い。しかし、それは裏を返せば、失われる自然を分離して取り出し、ある種の理想化を施していることでもある。古生物学はもとより、優生学が自然史博物館と密接な関連をもつのはそうした理由からである。それは『モダンの黄昏』に詳しい。
 純粋とされる自然の標本を氷結してしまうこと、それはジオラマの試みにもつながる。そしてそうして氷結された標本のひとつが類人猿であり、ゴリラであり、それが優生学的身体として浮かび上がっている。しかもこともあろうかエイクリーの数々の彫刻のひとつは、なんと類人猿の着ぐるみを脱ぎ捨てるように白人男性が姿を現しているという。さらにエイクリーはあのプロボクサー、ジャック・デンプシーとゴリラを体型比較までする。ゴリラのデスマスクを見るエイクリーの写真まである。。。

エイクリーの彫刻については少しだがこういうサイトにあがっている。

ジオラマにおいて興味深いのは、上のような問題も含めて、氷結したはずの生が別の軌道を経て妙な生々しさを帯びてきてしまうところにあるのではないか。それを――今期は無理だろうが――、少々うがってみたい。

ということでまずは当時の古生物学についての文献を捜索中。